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技術者の倫理

ミラクル・リナックスに入社して1ヶ月経った。3月からまた新しい人(NetBSDハッカー!!)が入ったので、昨日は歓迎会だった。つまりは飲み会なのだけれども、ミラクルの人たちと話していてひとつ驚いたことがある。彼らは、会社の飲み会で技術の話をするのだ。往年の親指シフトから、最新の(?)GNU Hurdまでが話題に上がった。

技術者には個性というものがある。強みである。もちろん、弱みともなりうる。前職の三菱電機では、マネジメント上の最大の焦点とされたものに、技術者の個性の無効化がる。無効化という言葉が過激すぎるなら、均質化と言い換えてもよい。逆に、ちょっと過激な言葉を使うならば、前職のマネジャーたちは、技術者を交換可能な標準化された部品とみなした。

天才的技術者がいたとする。すべての製品を彼の天才に頼っていたとする。ある朝、彼が交通事故に遭うようなことがあれば、直ちに事業は破綻する(スーパーコンピュータの父であるシーモア・クレイは交通事故で亡くなった)。したがって、天才的技術者への依存はリスクである。

前職のマネジャーたちは、シーモアの天才的コンピュータ設計能力のごときを利用しないという戦略によって、このリスクを回避しようとした。仕事を設計する際、シーモアの能力を最大限に引き出すようにはしなかった。シーモア以外の技術者でもできるように仕事を設計し、その仕事をシーモアに与えた。そうすれば、シーモアが交通事故に遭っても、別の技術者が引き継ぐことができる。

この戦略は、第1に、組織にとって不幸である。シーモアの能力が本当に価値ある製品を生み出すことができるものだとするならば、当然ながら、この戦略は価値ある製品を生み出さない。技術者の個性を無効化するということは、その組織の生み出す価値も無効化するということだ。

本質的に価値のない製品を売るためには、その製品があたかも価値があるかのごとく見せかけなければならない。例えば、無理な低価格化を行う。これは、多くの場合、技術者の賃金を下げる(サービス残業なども含む)ことによって行われる。一見、低価格は消費者にとってよいことのように思える。しかし、実際には、消費者はよりよい価値を得るチャンスを失っている。

第2に、シーモア自身にとっても不幸である。確かに、シーモアに与えられた仕事は、シーモアほどの天才をもってすれば容易にこなすことができるだろう。しかし、恐らく、シーモアは楽して稼ぐために技術者をやっているのではない。技術者なら誰もが知っていることだが、技術者は仕事そのものを報酬とみなす。自身が良い仕事をしたと思ったとき、最大の満足を得る。

仕事から満足を得られないならば、技術者は単に去るかもしれない(シーモア・クレイはいくつかの組織を転々としている)。もっと悪いシナリオは、技術者が、与えられた仕事に自らの能力を最適化してしまうことだ。余剰の能力を捨ててしまう。他へ移った技術者は、新しい組織で新しい価値を生み出すチャンスがある。能力を放棄した技術者は、もはやいかなる価値を生み出すこともできない。

今、日本企業に元気がないと言われる。なぜ、今の日本にはGoogleAppleが生まれないのかと言われる。なぜ、日本にはこれだけ多くの企業がありながら、GoogleAppleのような製品を生み出せないのかと言われる。

当然である。技術者の個性の無効化という戦略では、価値ある製品は生み出せない。技術者の個性の無効化によって、組織の産み出す価値は無効化され、技術者は能力を放棄してしまう。

本田宗一郎松下幸之助の時代には、日本企業も価値を生み出していたはずだ。価値を生み出したからこそ、日本製が選ばれ、日本経済は発達した。しかし、彼ら戦後日本経済のヒーローが去った後、残された日本のマネジャーたちは、もう彼らには頼るまいと思った。そして、技術者の個性を無効化することを思いついた。その結果、日本製は急速に魅力を失い、退屈な技術者が残った。

私が、前職の同僚たちとの飲み会で最も不満だったことは、彼らが技術について話そうとしないことだった。少なくとも、親指シフトが話題に上ったことはなかった。彼らは、そもそも技術に興味がなかった。技術など、とっくに放棄してしまっていた。話題の中心は、会社の愚痴だった。

昨日の飲み会で、ミラクルの技術者は、少なくとも現時点では技術を放棄していないことがわかった。ミラクルのマネジャーは、技術者を標準化された部品とは考えていないのだろう。私はたまたまミラクルを選んだが、若い企業はどこもそうなのかもしれない。

若い会社は、市場規模は小さいかも知れない。前職とミラクルとでは、売上の単位が違う。しかし、人々は何のために市場を生み出したのかを思い出さなければならない。企業とは何かを思い出さなければならない。

技術とは、昨日よりよい明日を得るために今日行う活動である。市場とはこの活動を加速させる舞台であり、企業とは舞台で踊る主体である。

企業の規模は目的ではない。売上とは、企業がどれだけ価値を生み出しているかを評価するベンチマーキングであって、それ自体が企業の目的ではない。テストの点数それ自体が勉強の目的ではないのと同じである。

どんなに売上を上げていても、もはや価値を生み出せなくなった企業は速やかに市場から退場しなければならない。あるいは、その売上を、価値を生み出す活動へと注入しなければならない。絶対にそうしなければならないというわけではない。これは、倫理の問題である。

ミラクルに入社して1ヶ月、技術者として、私は何だか救われた気がしている。前職では、私は、自身が十分な価値を生み出していないことに気づいていた。このことに後ろめたさを感じていた。仕事とはそういうものだと、自分を誤魔化していた。

ミラクルでは、そのようなバツの悪い思いをしなくても済みそうだ。雇用とは契約である。企業は労働者に何物かを求め、労働者はそれに答える。しかし、労働者も企業に何物かを求める。企業はそれに答えなければならない。

私は、ミラクルに、個性を潰さないで欲しいと要求する。個性を持った、強みと、当然ながら弱みも持った技術者として扱って欲しいと要求する。そうすれば、私は最高の仕事を約束する。少なくとも努力はする。これが、技術者としての倫理である。