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忍び寄る全体主義

私が三菱電機を辞めた理由のひとつは、組織のもつ全体主義的傾向を嫌ってのことだった。全体主義とは、皆が同じ考えをもつことではない。そんなことは不可能だ。全体主義とは、皆が同じ考えをもつことを強制することである。従って、全体主義のもとでは、人は皆と同じ考えを持っているふりをするようになる。

ひとつ象徴的な例がある。私のいた事業所では、改善活動が行われていた。いわゆる「カイゼン」活動である。製造業なら、どこでもやっていると思う。職員全員について、改善のノルマが課せられていた。技術者も、事務職員も、現場の職人も例外は認められない。通常は1月に1件以上だった。

どういうわけか、改善の効果は、節約時間によって計られることになっていた。そして、年度ごとにトータルの節約時間が定められ、各セクションにその時間が割り当てられた。この時間は最低の基準とされた。

誰の目から見ても、この改善活動は馬鹿げていた。一人毎月数十時間を節約する方法を考えだすことは、不可能とは言わないまでも、通常業務の中でできることではなかった。その結果どうなったか? 皆、改善したふりをするようになった。

ソフトウェアのセクションでは、単体テストの自動化などはよく使われる手だった。単体テストを自動化したふりをして、時間と品質を改善したことにするのだ。嘘の報告をしているのではない。実際にテストは自動化されている。ただし、その効果を見積もるところで「ふりをする」。

年度末に提出する報告書の上では、莫大な時間が節約されているはずだった。毎年のようにテストが自動化され、このままではテストの工数がマイナスになるのではないかと思われるほどだった。しかし、皆、本当は何も改善されていないことを知っていた。毎日残業し、デバッグする自分が一番良く知っているのだ。

ちなみに、改善の内容については、一応の審査はされているようである。一度、毎月の報告書に、「陶器のマグカップから側面が魔法瓶でできているマグカップに変更することで、長時間美味しいコーヒーが飲めるようになり、作業が捗るようになった」と書いたことがある。改善の委員に、さすがにそれはダメだと言われた。

私は、ここで改善活動そのものを批判したいわけではない。改善活動は必要だと思っている。実際、優れた改善のアイディアというものは存在する。私が批判したいのは、効果がないとわかっているのに、それに異を唱えることを許さない全体主義的な空気である。

これは、三菱だけでなく、苦境に陥っている日本企業すべてに言えることではないか? かつての成功体験にしがみつき、無意味とわかっていることを続けているのではないか?

まるで戦時中の日本軍のようだ。最初の神風特攻隊が成功を収めたという理由だけで、効果を挙げられなくなった後も飛行機による体当たりを続けた。(人道的問題はおいておくとしても)特攻隊の効果に疑問を呈することはタブーだった。日本軍が最終的にどうなったかは、よく知られるところである。結局、日本人のメンタリティとはこの程度のものかと思うと残念である。

誰も「改善はインチキだ」とは言わない。私は言えなかった。もちろん、改善に異を唱えたからといって収容所に送られるわけではない。せいぜい、「害のない」ポジションに異動になるだけだろう。

多くの大企業が大量リストラを行なっている。リストラされた人には気の毒だが、これが日本企業にとっての「終戦」になることを期待している。